子育てを頑張るママとして、一人の看護師として認めてもらえる職場
高校卒業後に埼玉の看護専門学校へ進学。卒業後は附属の病院に就職し、療養病棟で経験を積んだ後、急性期病院へ転職。結婚・出産を機に、子育てをしながら働ける環境を求めて地元の栃木県那須塩原市へ転居し、那須北病院(旧 那須脳神経外科病院)へ入職。
▼目次
私の看護師人生
回復期で働く魅力
子育てと両立できる環境
私の看護師人生
― ご家族からの「ありがとう」の手紙
実は看護師ではなく別の道も考えていました。母が看護師で、私がまだ小さい頃も夜勤をしていたため、朝起きても母はいないことが多かったです。また、土日休みではなかったので、子どもの部活の試合とかにも来られないですし、年末年始も休みではなかったので、家族でどこかに出かけたりすることも少なかった。そういうのが嫌で、私は看護師にはなろうとは考えていませんでした。
高校生の時に私が就職するか進学するか悩んでいたところ、姉がちょうど看護学校に通っていて、実習先で終末期の患者さんのご家族から手紙をもらって、すごく嬉しかったという話を聞かせてくれました。手紙には「ありがとうございました」と書かれていました。そんな風に“人に感謝される仕事”って素敵だなと。「看護師の仕事って面白いのかも」と興味が湧いてきて、私も看護師の道に進むことを決心しました。それを母に伝えた時は、「看護師はすごくやりがいがあって良いよ!」とすごく喜んで、背中を押してくれました。母は看護師の仕事が本当に大好きで、定年した今でも働きたいと言っています(笑)。
― 療養から急性期へのキャリアチェンジ
最初に就職した病院は急性期病棟と療養病棟があるところでした。そこの急性期病棟が、現場の方々がすごく忙しそうで、少しギスギスした雰囲気を感じてしまって、私は療養病棟への配属を希望しました。3年間勤務をしましたが、患者さんの多くが寝たきりで、遷延性意識障害の方がほとんどでした。なかには人工呼吸器を付けた患者さんもおられたので、呼吸疾患に関する知識から感染症予防の知識やスキルなど、学べる機会も多くありました。一方で、患者さんの反応や変化が少ない環境ではあったため、どうしても毎日同じことの繰り返しのように感じてしまい、看護師として少し物足りなさを感じていました。
看護師になったばかりの頃は右も左も分からず、仕事を覚えるのに必死で頑張っていましたが、3年も経つと「私はどんな看護師になりたいのか?」とキャリアについて考えるようになりました。その時は明確にやりたいことは浮かばなかったのですが、そのまま経験年数だけ重ねていくのでは駄目だと考え、療養病棟の経験しかありませんでしたが、急性期の病院に挑戦してみようと考え、転職しました。転職先の病院では、脳神経外科が中心の急性期病棟に配属され、たくさんの症例をみることができました。ところが入職から2年くらい経った時に、私がいた病棟が回復期リハビリテーションへと機能転換となり、そこからは回復期リハビリテーション病棟で約5年間働くことになりました。
回復期で働く魅力
― 退院支援業務は、看護師の醍醐味
急性期では治療が優先されるため、患者さんのご家族がいても「ケアに入っちゃいます」という感じでした。回復期へと移ってからは、患者さんのご家族と密にコミュニケーションを取って、患者さんが在宅に復帰した後の生活を支えることがより重要になりました。
退院後の在宅でのケアの方法について家族に指導をするのですが、ご家族は朝起きたときから夜寝ている間も看なければいけません。そういったご家族の負担を考慮すると、病院で看護師や看護助手が行っているケアをすべて同じようにするのは難しくなります。「どこが妥協できるか?」「ここを工夫すれば負担を軽くできるんじゃないか?」という風に、ご家族の状況に合わせてケアの方法を提案することが求められます。そのためには担当患者さんすべてのADLを把握しておく必要があり、とても難しい業務ではありますが、回復期での経験を積んでいくうちに、私はそこに面白み・やりがいを感じるようになりました。
ご家族を巻き込みながら、多職種のスタッフと一緒に考えながら進めていく退院支援・家族指導は、回復期での看護師の仕事の一番の醍醐味だと感じています。
― 「またあなたが担当で良かった」
那須北病院に来てから私が退院指導を担当した患者さんのご家族との関わりが印象に残っています。奥様がとても積極的な方で、退院に向けた準備を一緒に進めていました。そして無事に退院し家に帰ることができたのですが、2週間ほど経って肺炎に罹ってしまわれました。急性期の病院で治療を受け、再び当院へ転院されてきました。私たち看護師はとても残念に感じていたところ、病棟でお会いした奥様から「鈴木さんがまた担当してくれるんだったら心強いわ!」と声をかけていただきました。当院はプライマリーナーシングなので、前回の入院時は私が入院から退院まで一貫して担当させてもらっていました。ご家族にとって「私が担当で良かった」と思っていただけたことがとても嬉しくて、看護師になって良かったなと感じたのを覚えています。
そのご家族に対して何ができたかを振り返ってみると、私は『家に帰った後の奥様の負担』をすごく考えて退院指導を行っていました。例えば、入院中には看護師が夜間も何度かオムツ交換をしていたのですが、普通の人なら寝ている時間です。奥様の負担を考えた私は、ご主人に相談して「家に帰ったら朝まで替えなくて大丈夫なオムツにして、奥様もご主人も夜は寝ましょう」とお話をさせていただきました。すると奥様は「夜に何回も起きなきゃいけないと覚悟していた」と不安であったことを打ち明けてくれました。旦那様をご自宅で看護する上で、なかなか自分からは言い出せなかったようでした。そういったこともあって、奥様も私の提案を聞いてすごく喜んでおられました。
ご家族から「ありがとう」と直接言っていただけたことで、私もようやく一人前の看護師になれたんだと、自分の仕事に自信を持つことができました。
子育てと両立できる環境
― 「職場はなんとでもなるから大丈夫」
那須北病院に入職した時、私は二人目を妊娠中であったため、子育てとの両立がしやすさという点で当院を選びました。実際に働いてみて、職場の皆さんにはすごく助けられています。私が勤務する病棟の師長さんも、子育てをしながら働いてこられた方なので、すごく理解があります。一度、子どもが熱を出したとき、私は子どもを病院に連れて行き、受診後は実家の母に預けて出勤しようとしていました。ところが師長さんは「子どもが熱を出したときは休みなさい。職場はなんとでもなるから」と言ってくださいました。まだ小さな子どもを育てている母親として、その言葉がすごく心強かったのを覚えています。今は16時半までの時短勤務をさせてもらっているのですが、時間に帰れるように師長さん自ら現場のサポートにも入ってくれます。また、同僚のスタッフさんも「鈴木さん、早く帰りなよ!」とみんな声をかけてくれます。
お子さんが中学生や高校生になっている先輩ママが多いのですが、皆さんが子育てしていた時代は今のように職場の理解を得られず、子どもが熱を出してもなかなか休めなかったと聞きます。それでも、今は私のような子育て中のスタッフのことを理解してくださり、温かくサポートをしてくださるので、とても働きやすい職場だなと実感しています。
― 就職を検討中の方へ
那須北病院には、子育てをしながらでも、一人の看護師として認めてもらえる環境、協力してくれる仲間が揃っていると思います。
当院に少しでもご興味のある方は、ぜひ一度病院見学にお越しください。多様な働き方を受け入れてくれる当院で、一緒に働いてみませんか?お気軽にお問い合わせください!
(写真・インタビュー・文:MottoBrand 福井勝雄)
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